【北九州市小倉南区】小倉城主の細川忠興が名付け親⁈「小嵐山」と名付けられたルーツを探って来ました♪
毎年4月の中旬から5月の初旬には沢山の鯉のぼりでとても賑やかになる紫川、桜橋周辺。その後ろにそびえたつのは「小嵐山」と呼ばれる山です。
その小嵐山が由来となり北九州モノレールの駅名にも「徳力嵐山口」と名付けられていたりと「小嵐山」は多くの人が耳にした事のある地名ではないでしょうか⁇しかし、何故そのように呼ばれているのでしょうか⁇
この日(2022年06月08日)麓(ふもと)を歩いていると、このようなものを見つけました!!
時は遡ること、1602年(慶長7年)細川忠興は小倉城の大規模改修と城下の整備に取り掛かりました。忠興は利休七哲(りきゅうしちてつ)の一人と数えられる茶人でもあり、細川三斎(さんさい)としても有名でした。また父の幽斎(ゆうさい)も歌学者であるなど、共に風雅を好む文化人でした。忠興は生まれ育った京都のような町を小倉の地に作ることを目標としていたそうで、京都や大阪の地名や町名が現在の小倉の町にも使われているのは当時の忠興の好みによるものでその名残りだそうです。
そんな忠興が、桜橋付近が「京都の嵐山に似ている」とこの地を気に入り、父である幽斎が京都の嵐山から桜を取り寄せて、この山を中心に植えたと伝えられています…。幽斎がこの地に遊んで読んだ歌もあるそうです!!
豊国(とよくに)の嵐(あらし)の山の麓川(ふもとがわ)
岩越す波はさくらなりけり
(「豊国」とは九州北東部の古い国名です。)
このようなことからこの山は「小嵐山」と呼ばれるようになったそうです。
小嵐山のすぐそばを流れる紫川のせせらぎを聴きながら、麓を歩いてみると忠興や幽斎のように京都の嵐山を彷彿することが出来るかも⁈しれませんね♡
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小嵐山が一望できる桜橋はこのあたり