【北九州市小倉南区】歴史も溢れる小倉南区!!現在も呼称されている「企救」のルーツを探求しました♪
2022年は小倉南区が誕生してから48年の年です!!「小倉南区」と呼ばれるようになるまでにも勿論、いろいろな歴史があるのですが…ここで少しだけ南区ヒストリーを♡1878年(明治11年)に行政区画として発足した豊前国の「企救郡」(現在の門司区、小倉北区、小倉南区全域)はその後、時を経て1907年に「企救村」となりました…。
現在も「企救丘」という地名をはじめ、北九州モノレールの「企救丘駅」や「企救丘小学校」「企救中学校」と「企救」の文字を含むスポットがありますが、全て以前「企救村」だったエリアに含まれているそうです♪
そして、なんとその「企救」という文字、現存する日本最古の歌集と言われる万葉集に記されているそうなんです!!全20巻、約4500首の歌が記されていて、作者は天皇から農民まで幅広い階層、詠み込まれた土地は東北から九州まで日本各地と言われています♪
小倉北区の勝山公園内に万葉歌碑があることを知り行ってみることに…。
見つけました!!「企救」の文字!!
とよくにの企救の長浜
行き暮らし 日の暮れゆけば
妹をしぞ思ふ (作者未詳)
7世紀末から8世紀末の歌に「企救」と記されているというのはなんだか感慨深いものがあります…。万葉集の時代から現代に至るまで、さまざまな時代の人が「企救」と呼称し続けてきたのですね!!「企救」と呼称され続けていくこの地域、魅力的なお店や素敵なスポットが盛り沢山ですよ♡これからも引き続き、号外ネット小倉南区でご紹介させていただきます!!
昔「企救村」とされていたエリアで、現在の北九州モノレール企救丘駅はこのあたり